「持続可能な社会」とは?
環境問題の情報に触れるとき、よく目につく言葉で『持続可能な社会』という文言があります。
そもそも持続可能って、何が持続なのでしょうか?
一体どういう社会を指している言葉で、地球温暖化などの環境問題とどういう関わりがあるのでしょうか?
このページの概要
「人間が引き起こす環境への変化」と「地球の治癒能力」
『持続可能な社会』の意味を理解するキーワードが2つあります。
『人間が引き起こす環境への変化』と、『地球の治癒能力』です。
そして、その2つの大小関係が持続可能かどうかの目安になります。
簡単な例で考えてみましょう。
例)羊の放牧
広い牧場に羊を放牧すると、羊は牧場に自然に生えている草を食べます。
草は羊に食べられても、しばらく放っておけば自然の力で再び草は生えてきます。
広い牧場にあまり多くない数の羊の数であれば、自然の力で草は再生するので、その羊たちは食べるものに困らずに、その牧場にずっと長く暮らすことができます。
つまり牧場内は、『持続可能な社会』と言えるでしょう。
この例で言うと、
「羊を放牧する」=「人間が引き起こす環境への変化」
「草が生える」=「地球の治癒能力」
ということになり、牧場を維持するための大小関係は以下の通りです。
もちろん、牧場の広さが狭かったり、羊の数が多すぎて羊たちをまかなえるだけの牧草がなかったり、自然の力で再生するのが間に合わない量が必要であれば、その牧場は『持続可能な社会』になりません。
牧場は『持続不可能な社会』となり、いずれ草がなくなった荒れた土地となり、羊たちは他からエサが与えられない限り、死んでいくだけとなります。
例)化石燃料の消費
現代は電気がなくては生活できないくらいの文明社会となりました。
日本の発電所の80%以上を占める火力発電所で発電される電気は石炭や液化天然ガス、石油などの化石燃料を燃やしてタービンを回し、発電機を回すことで電力を発生させて各家庭に送られています。
車や船や飛行機を動かす燃料も化石燃料から作られ、生活から切り離せない大量のプラスチック製品も石油から作られています。
石油の元となる原油は、古代に蓄積された動植物が地中で熱や圧力を受けて、数億年の年月を掛けて原油に変化したものです。
自然の力で原油ができるまでの期間があまりにも長いので、石油を大量に消費することで、いずれ石油は枯渇してしまうでしょう。
この例で言うと、以下の式となってしまいます。
このように地球の治癒能力には、限界があります。
『持続可能な社会』を維持するためには、『人間が引き起こす環境への変化』を『地球の治癒能力』よりも小さくする必要があるわけです。
持続可能な社会の実現に向けて
電気がない昔の生活は、自然と共存した「持続可能な社会」でした。
しかし、産業革命以降の急速な近代化の過程で、人類は「加害者」として自然環境を破壊し、温室効果ガスやフロンガス、環境汚染物質などを大量排出してきました。
そのため、大気汚染、水質汚染、温暖化による異常気象、食料不足など、人類自らが「被害者」となりつつあります。
これは本来の自然と共存するためのバランスを壊してしまい、「持続不可能な社会」にしてしまったからです。
したがって、人間一人ひとりの行動が「持続可能な社会」を実現するための活動を推進していく必要がありますし、このサイトもその一環で進めているつもりです。
もちろん、国が率先してやるべき事でしょう。
国は遅ればせながらも法体制を整え、環境問題改善となる行動には補助金を付けるなど、動いてきています。
太陽光発電の設置に売電制度を設けて普及を促進させるFIT制度などは良い例です。
企業がやらないといけないことでしょう。
企業も自社のエネルギーをすべて再生可能エネルギーでまかなう「RE100」運動などに参加する大企業も増えてきています。
地域の公共団体も率先してやらないといけないことでしょう。
皆さんが住んでいる県や市町村のホームページを閲覧してみてください。
そのほとんどが何らかの環境対策に取り組んでおり、場合によっては市民への補助金制度などにも取り組んでいます。
学校でも、昔と比べて今では教育課程で環境問題の教育が、より重要視されているはずです。
さて、私たち個人では?
企業や公共団体や国に陰口だけ言っていても、何も変わりませんもんね。。
私たち個々人の行動が問われてきている時代になってきたのかもしれません。